一家に一台は

東芝といえば、日本を代表する電機メーカーという感じがします。東芝、よりもTOSHIBAのほうがなじみがあるかもしれません。一家に一台は、東芝製の製品があるのではないでしょうか。東芝の歴史は、田中久重が銀座に開いた工場兼店舗に掲げたこの看板の文字から始まったと言われています。

田中久重さんは、「からくり儀右衛門」と呼ばれている人でした。また、田中久重は江戸時代を代表する偉大な発明家の一人です。また電気の父、藤岡市助は日本のエジソンとしてその名を知られていました。後にこの二人の巨人が一緒になることにより、東芝の前身「東京芝浦電気」が生まれたのです。

彼らの熱意は現在の東芝に引き継がれていると言われています。田中重久さんとは、江戸時代から明治にかけて「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれ活躍した発明家さんです。被リンク 福岡県久留米市生まれです。田中久重さんが創設した当初は田中製造所という名前でしたが、後の東芝となりました。

幼いころから、その発明家としての才能を発揮していたようですが、わずか8歳にして硯箱を作ったというのですから驚きです。そのころから、とてもチャレンジ精神にあふれた人であったと、冷気の資料には記されています。当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案したことにより大評判を呼びました。

全国にその名を知られる

「からくり儀右衛門」という名前は、からくり人形を作ることから来ているようです。当時より、人が喜ぶ顔を見るのが大好きで、人々の必要としているもの、生活を豊かにするものを考えていた、とのことです。この間九州各地や大阪・京都・江戸でも興行を行い、その成功により全国にその名を知られるようになったと言われています。

彼のユーモア、チャレンジ精神、いたずら心は今でも東芝の基準となっているそうです。また、田中重久さんとともに東芝に深く関わったとして知られている人が藤岡市助さんです。日本の工学者、実業家であり、日本に電気、電球灯の普及させたところに功績が大きく、「日本のエジソン」「電力の父」と評されています。

エジソンの発明から10年、藤岡市助さんの発明により、日本産の電球がともされたそうです。それまでは、欧米の電力に頼っていたようですが、藤岡市助さんの発明により、日本でも電球を作ることが出来るようになったんですね。そのおかげで今の豊かな暮らしがあるというわけです。